2017.02.21
徳川家の住まいを訪ねて
戸定邸
「日本全国を探してもここだけにしかない!」そんな珍しい建物が松戸駅からほんの10分程歩いた場所にあります。戸定邸(とじょうてい)は日本で唯一、一般公開されている近代徳川家の住まい・庭園なのです。
戸定邸は1884年(明治17年)に徳川家最後の将軍である徳川慶喜の弟、徳川昭武により建設されました。その造りは「華やかさを求めず実質を重んじた」という昭武の人間性を反映し、非常に静かな息づかいを感じさせるものとなっています。
建物は純和風の木造平屋造りで、一部が二階建て。玄関に足を踏み入れるとまず目に飛び込んできたのは・・・↓↓↓
1901年(明治34年)に徳川慶喜が昭武に宛てて打った電報です。短い文章を一読しただけでも、歴史上の人物たちがかつて時を過ごした空間を、まさに今、訪れていることに不思議な感覚を覚えてしまいます。
玄関口から左に折れて続く廊下を進みます。130年以上も昔の建物であるにも関わらず、まるで今でも誰かが住んでいるかのように手入れが行き届いています。何だか徳川家の住まいに「招待された」ようで胸が躍ってしまいます。
廊下を抜けると通じているのが 使者の間棟 と呼ばれるこちらの部屋。賓客のお供として訪れた使者たちを招き入れる場所です。シンプルな作りに見えますが、さまざまな工夫が細部に凝らされています。例えば・・・↓↓↓
天井と鴨居の間にもうけられた欄間(らんま)に注目してみると、何やら模様がくり抜かれています。実はこれ、コウモリなのです!コウモリは漢字で表記すると蝙蝠。福という字が含まれているため、古くからおめでたい模様とされています。
こちらは昭武も利用していた湯殿。湯気がこもらないよう換気するために天井にはしっかり「ある工夫」が凝らされていました。(それがどんな工夫なのかは是非、直接足を運んでみてくださいね!)最後の水戸藩主である昭武は「幻の将軍」と呼ばれていたわけで、そうした人物の日常生活が垣間みれることがとても興味深い!
戸定邸は9つの棟が廊下で結ばれその部屋数は23。なかでもひときわ大きな面積を誇るのが表座敷棟。西に面した窓からは街を一望でき、天気が良い日には富士山を楽しむこともできます。(高層ビルが建設され少々見づらくなってしまいましたが・・・。)
「この一本の柱を削りだすために、これだけ大きな樹木が必要だったんだ」と身振り手振りを交えて説明してくれるのは戸定歴史館館長の斎藤洋一さん。「戸定邸にはまだまだわからないことが沢山。解明するのにあと何十年もかかるよ」と豪快に笑います。
例年2月中旬頃、表座敷棟からのぞむ庭園では梅の樹々がほんのり黄色い花を咲かせはじめます。とても珍しい品種らしく、専門家にもその正式な学術名はわからなかったため、戸定黄梅(とじょうおうばい)と名づけられました。歴史に思いをはせながら、日々移り変わる季節を愛でるのも良いかもしれませんね。ではでは、チャオチャオ〜♪
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